日常動作が健康を創る…身のこなしのメソッド・自然身法

行住坐臥の身体感覚

行住坐臥の身体感覚

 自然な体術を研究して行く中で、気づいてきたことは、東洋の体術が西洋スポーツとまったく異なっているのは、歩く、立つ、坐る、道具を扱うといった日常動作の延長の中に技があるということでした。
 西洋のスポーツでは、たとえば立つという動きでも、立つだけでは意味がなく、いかに深くしゃがむか、できるだけ伸び上がり、さらにはジャンプすることがからだの訓練として重視されるわけです。それに比べ東洋の伝統的な体術においては、自然にふるまうこと、重心を沈め、体軸を中心に自然体を保つことが重んじられたのです。つまり日常の姿勢から離れるのではなく、自然に身についている姿勢や動作を深く極めて行くことが大切だとされたのです。
 私が長年修練してきた太極拳もそうですが、日本の能や踊りは、立つ、歩く、坐るという日常の所作を基本にしながら、それをさらに緩やかに大らかに演じています。りきんだり、突っ張ったり、荒々しく息が切れるような動きは、誤った動きだとされるわけです。それは、からだだけではなく、心をこめて動作することが重視されたからでもあります。しぐさに気を込めること、気を静めること、気を合わせることが大切とされたのでした。
 そういう意味からすると、江戸は「気」のトレーニングの時代といえるかもしれません。
 エコロジカルな文化が花開いた江戸時代がこのところ見直されていますが、江戸は機械に頼らず手で作業し、足で歩くというからだの時代でした。一方で、これほどまでに車やコンピューターや機械が発達している時代でも、自分の足で登山をする愛好者や、市民マラソンの参加者が年間数百万人にも達するということは、人は自分でからだを動かすことや、鍛練することに喜びを感じているからでしょう。ただ現代人の傾向は、普段は便利な機械を利用してからだを動かさず、レジャーやスポーツとしてからだを意識的に動かすというという所にあります。
 それに比べ、江戸人は日常や仕事が、自然に心身の鍛練になっていました。庶民はどこへ行くのも、自分の足を使い、足を丈夫に保たねば生活できませんでした。また、食事の作法から、着物の畳み方、ハタキのかけ方、布団の上げ降ろし、剣の扱い方まで幼い頃よりしつけられていました。庶民から武士までが日常のなかで自然に身につけていったのです。
 江戸人は生活の立ち振舞いや仕事の技を通じてからだを練っていました。またからだを練ることを楽しんでいたようです。それは当時の人々のしぐさを描いた浮世絵などを見ると想像できますし、現代にまで伝承されている日本の舞踊や武術、茶道などの動きを見ても明らかです。江戸人は、からだのしぐさをおろそかにすると、病気に対する抵抗力が弱わまり、病弱なからだになることを長い経験から分かっていたのでしょう。

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