日常動作が健康を創る…身のこなしのメソッド・自然身法

岡村初心先生

岡村初心先生

追悼 岡村初心先生

 半世紀近くにわたり、私の内功と禅の師であった岡村初心先生が、2022年11月21日早朝、奥秩父の山の庵で逝去されました。享年83歳でした。
 私が初めて弟子となって以来、私の紹介と口づてで多くの武術家が学びに訪れましたが、生前は名前を秘され、表立っては指導されなかったので、武術界では謎の禅僧と噂されていました。
 先生の技や哲学は、少年の頃、山中での命懸けの修行で悟られたものであり、また、教えがあまりにシンプルすぎて中国伝来の気功なのか?武術なのか?禅なのか?なかなか会得できず、先生に接してはいても、その力の秘密に近づけず、30年ほどしてようやく先生の行や思想が理解できるようになったのです。太極拳や気功も長い時間を掛けて学んできましたが、自然身法の形成に先生の影響は計り知れません。 
 これからさらに、先生の思想と技を受け継ぎ、自然身法を深化させねばならないと思う次第です。

自然身法研究会代表  出口衆太郎

岡村初心先生の足跡

岡村初心先生は、若いころ、奈良の山奥で仙人のような老人に拾われ、岩屋に5年ほどこもっておられたといいます。老人はもともとは武術家で、戦前、中国全土を武者修行して回っていたようです。帰国してからは奈良から和歌山にかけての山(熊野と思われる)に炭焼や樵のようにして隠れ住んでいたらしく、名前も詳しい過去も「わしとお前には必要ない」と、最後まで話されなかったそうです。当時の食事はそば粉をなめる程度で、一日中、行に明け暮れていたとのことです。
山奥での5年間の修行の後、下山し、20歳の頃、中野坂上の高歩院(幕末の剣豪、山岡鉄舟の旧宅)に臨済禅の大森曹玄老師(直心影流の剣術家としても知られる)を尋ねて入門を許され、得度し禅僧となられました。
高歩院は在家の方々の修行道場であるので、本格的に仏門を修めるためにと、ほどなく大森老師から天龍寺派、関精拙老師の兄弟弟子であった山田無文老師の神戸・祥福寺に修行に出されました。神戸から帰って来られた後は、北海道への5年の雲水行へと旅立ち、さらに全国行脚を続けられ、その後は東京都内や近県で何度も庵を移られ、しばらくして奥秩父の山にこもられました。

出口代表との邂逅

出口代表は20代半ば、ヨーガと少林拳を皮切りに、からだの動きの研究のため、技の達人の噂を聞きつけては体験のために訪問していましたが、1977年ごろ、佐保田ヨーガの先輩から「気で人や鳥さえも飛ばしてしまうような達人がいる」と聞き、紹介していただいて、錦糸町に岡村初心先生を訪ねました。
やや約束の時間に遅れ気味で駆けていくと、坊主頭の恰幅のいい初心先生の大きな目ににらまれ、「君は、武術をやっておられると聞いているが、来るときの足音は、武術をやっている者のものではないね」といきなり言われました。 
2時間ほどお話を伺った後、「実際には、どういう行をやるのですか」と尋ねると、自然体から両腕をゆっくり上げ、肩の高さで、円く抱くような姿勢(当時は日本で知られていなかった三円式站樁功)をされ、そのままずっと立ち続けるのだとのこと。また、ゆっくり両腕を回転させながら、数メートルの円周上を回っていくといった動作を見せていただきました。
ただ自然に立っているか、ゆっくり歩いているというだけで、特に目を見張るもののない、この程度の動きで気の達人や武術の達人というのは本当なのだろうかという疑問がわいた出口代表は、「実際に、少し技を体験させていただけませんか」とお願いし、場所を変えて軽く手合わせしていただきました。初心先生が自然体に立っておられるところに、軽く正拳で突いていくと、受けられたと思った瞬間、バーンと飛ばされ、あっけにとられ何が何だかわからないまま、「もう一度お願いできますか」と、少林拳の技で思いっきり突いていくと、今度はドーンと4メートルほど後ろの壁まで突き飛ばされてしまいました。自転車でダンプカーにぶつかったような、全く異次元の威力だったのです。ものすごいパワーに圧倒され、気の力をまざまざと体で味わわされた出口代表は、その場で、「これから通いますのでぜひご指導ください」と頭を下げました。
以来、45年以上も学ぶことになり、体の技にとどまらず、修行の体験談、山で教わった仙人の教え、禅、仏教、宇宙観に至るまで、命懸けの修行で悟られた奥深い教えが自然身法の形成に計り知れない影響を及ぼしました。

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